時代背景から見る高校野球の未来
2020年、全国高等学校野球選手権大会及び地方予選はコロナウィルスの蔓延により中止となりました。
一般社会においても、ワークスタイルが大きく変化してきている。テレワークの推進で自宅から満員電車に揺られての通勤は少なくなり、コロナ問題が収束した後にも元へは戻らないでしょう。
戻る必要がないのである。
また、終身雇用や新卒一括採用など当たり前のように行われて来たものが、現在の制度として機能しなくなったことから従来の常識は通用しなくなったのである。特に企業内では言われたことだけやっていれば良い時代では無くなり、転職や副業など個人の働き方がそれぞれ異なる時代になって来た。
このように社会構造も大きく変わり始めている。そんな中で高校野球も甲子園出場を最大の目標とするスタイルから変化してきている。いや変化せざる負えないのではないだろうか。
気が付けばプレーヤーが減少を続け単独のチームでは大会に出場できない学校も多くなった。
正直、高校野球=甲子園。汗と涙と感動の高校野球を続けるには少々時代錯誤かもしれないし求めてもいけない。
私自身が高校野球の指導現場に立ちながら日々感じるところは、変わらなければならないと現場の指導者も思っているのだがどのように変えて行くべきか、新しい試みをするためにはそれなりの勉強や労力が必要となるので正直やりきれないと言うのが現場教員の実感だろう。
高校野球で学ぶべきものは一体何だろうか?
過去は、協調性、自分を犠牲にしてもチームの勝利に貢献するなど戦時中の教えそのものだった。
練習では、誰かミスをすれば連帯責任で罰を喰らう。
坊主頭に集団行動、個人の意見など無く何やら宗教団体のような異質な存在。
名監督と呼ばれる教祖様に絶対服従の師弟関係。
これでは、社会に出てから役に立つことなど何もないのではと思う。
社会の変化に対して、高校野球は取り残されてしまっていると言うのが率直な感想。
そして、MLB、NPBなどプロ野球でもデータの活用が進んできた。
感覚や経験からと言う抽象的なものではなく、「数字」により現状を認識することができ、トレーニングや戦術などに活かされている。
高校生などは、身体の成長もまちまちであるため、本来、トレーニングメニューは個別で異なるはずである。
しかし、普通の高校野球部なら監督1名と部長1名の指導者しかいないのが現実である。
これからは、外部のトレナー、コーチなど専門性を高められる体制を敷き、ラプソードやモータスなどからデータの収集、分析、活用のためのアナリストとの協力が必要となるだろう。
生徒一人一人の能力を向上させるための環境を整えて、実践して行くことが高校野球の役割ではないだろうか。最終的には、個人の能力開発=団体の成績アップとなるはず。
課題克服型の練習方法について
広島県の私立高校で武田高校についてご紹介したい。
平日50分間の練習で、プロ野球選手を輩出したことで知られている同校は岡嵜監督の取り組みに高校野球の未来を見る。
名門広商のOBで自身も独立リーグでプレーされて来た生粋の野球人である。
更に岡嵜監督と有名なトレーナーMac高島氏のコンビが武田高校の取り組みを大きく変え、
平日50分という制限下の中で、球速140km以上投げる選手が数名いるような、個人の能力開発に重点を置き結果を出されている。
武田高校の取り組みを見て思うことは、目標設定とプロセスを重視し、最短で結果を出すことの方法を体得できる点。
この方法を身につければ、野球のみならず、ビジネスの世界でも十分通用する。
自らの現状(課題)を数値で知ることにより、目標値にまで届く為には、何をどれだけやるか、選択と集中、そして、数値という分かりやすい目標を定めることで正しく計測することができるという点。(ごまかしは効かない)
結果、目標値をクリアーすると、140kmのボールが投げられるようになり、試合の結果が変わる。
ボヤッとした目標でなく、あくまで数値。
取り組む選手も短時間の練習を最大限どのように活かすかを考え、自らをマネジメントする能力が養われる。
選手自身が研究することを含めとにかく考えることが多いはずである。
武田高校野球部には従来の高校野球のイメージは全くない。
もう1校、私が個人的にも興味がある、花巻東高校である。
ご存知の通り、現在MLBで活躍中の菊池遊星投手、大谷翔平選手の母校である。
監督の佐々木氏も目標設定の重要性を唱えている。
有名な曼茶羅チャートは大谷選手のものが公表されているが、目標に対して、何をどのように取り組むかを明確にできる点が優れている。
日々、技術的なことばかりにフォーカスしやすいのですが、「メンタル」の重要性を強調されている。
どんなに良いプログラムがあったとしても、必要性を感じやる気がなければ継続できないわけで、
継続できなければ、当然結果は変わらない。
そんな、メンタル要素を佐々木監督は重要視されている。
菊池、大谷両選手に共通していることは、研究熱心であり自らの能力を上げるために多くの学びと多くの取り組みを実践している点。
潜在能力も高い二人だが、目指している目標が非常に高いところに設定されていながら、そのプロセスの計画ができている。まだまだ発展途上とも思わせる点がこの二人の共通である。
以上、ご紹介した2校以外にも様々な取り組みを行っている学校も多くなって来た。
従来型の統一メニューを全員がこなすやり方では成長させられる選手がごく一部となってします。
可能性を持った選手達が離脱してしまうのは非常にもったいない。
何のために高校野球をやるのかを選手自身も考えて取り組む必要があり、そのサポートをするのが指導者の役割となる。
私自身は高校野球や甲子園は聖域ではなく、16歳~18歳の成長段階の子供達が取組むスポーツとして捉えている。
ビジネスの世界では、企業のビジネスモデルの賞味期間について30年限界説がある。
30年という時間は時代は大きく変化するということ。
では、高校野球についてはどうだろうか?細かな改善はあるものの劇的な変化は起こっていない。
何故か戦後教育の名残が残っているように感じる。
坊主頭、全員同じ衣服、シューズ、集団行動、指導者のカリスマ性など
今の時代が求めているのは、ゼネラリストではなくスペシャリスト。
企業や働き方も物凄いスピードで変化している時代。
個を育てるシステムにはなっていないように思う。
指導者側もこの時代の流れを汲み取って、個々の選手がどうしたら成長できるかを最優先で考えて
実行して欲しい。
高校野球は名門高校になると外野がうるさいと言われるが、そんな方にもしっかり説得できる方針を掲げて取り組んで欲しい。
今、変わらなければ野球というスポーツ自体はどんどん廃れて行く。
メディアの方も高校野球を取り上げる際、お涙頂戴、名将監督を取り上げる報道などは変えて欲しい。
まとめ
この記事を書くにあたり、氏原英明氏の「甲子園は通過点です 勝利至上主義と決別した男たち」を参考とさせていただきました。
同書は堺ビッグボーイズの阪長さんの紹介で即購入。
高校野球の変革は既にあちらこちらで起こりはじめており、間も無くビッグウェーブが起こるはず。
素晴らしい取り組みは勉強させていただき徹底的にパックって良いではないか。
高校野球の指導者には、自分流のやり方に陶酔している人も多く学びが不足している。
ビジネスでは他社のパクリは当たり前で(法律に反しない)悪いことではない。
常識に捉われていては新しいことはできないわけで。
少しでも高校野球が選手の成長に寄与できるシステムになることを期待しつつ
私自身がその為の行動を起こし続けることを約束します。