オリンピックを終えて感じるもの
開催が1年延期され世間では色々物議を醸し出した東京オリンピックが閉幕した。
開催前はスタジアムのデザインに始まり、ロゴ、演出、人事などあらゆる問題が浮かび上がり更にはコロナウィルスの対応も加わり開催までの道のりは決して平坦なものではなかった。政治的な問題は抜きにして、アスリートの活躍から日本人のメンタリティが変わってきたことを強く感じた。以前はプレッシャーに潰され、散々な結果になってしまいその経験から選手生命を短くした者も多かったのではないだろうか。
しかし、今回はプレッシャーを跳ね除け見事にメダルを獲得した選手が多く見られ、また、プレー中の表情などからプレッシャーを感じながらもベストを尽くす姿にメンタルトレーニングを積んできたことが伺えた。
卓球の伊藤美誠選手は水谷選手とのダブルス決勝で中国に2ゲームを先取されながらも口角を上げて表情を作ることで少しずつペースを引き寄せて大逆転で勝利した。
最後まで勝負は分からない中、そんな状況を幾度も経験し、そこから何が足りなかったのか課題を明確にし、その課題に対してどのように改善するかをコーチと研究を重ねた結果だったと推測する。
柔道については、前回のリオ五輪から井上康生監督体制になってから、世界中の選手のデータを収集し相手を研究。
重要なメンタルについては、参加選手個別にオリジナルのVTRを用意して本人に見せるタイミングまでを計算に入れていたとの報道から、やはりこれだけの結果を出せるにはその根拠があるのだと腹に落ちた。スポーツの世界は目覚しく進歩している。動作解析や様々なデータを駆使して戦う時代になったのだと。体格の違いから気持ちが弱くなってしまうことはもうないだろう。
日本人アスリートが世界で活躍できることを確信した大会であった。
アスリートの環境が変わってきた。
前回の東京オリンピックは戦後19年での開催となった。敗戦後、物作りを中心に成長を遂げていった日本の成長を世界へ発信する意味合いが大きかった大会。
あれから、56年目を迎えた今年、福島の復興、コロナとの戦いなど開催スローガンについては色々とあった。私が今回のオリンピック、いや、近年のスポーツ界において日本人アスリートの活躍が目立っている点について一体何が変わったのだろうか?
たまたま能力のある選手が出てきたからだろうか?違うと思う。アスリート自身、やらされ感が無くなって苦しい中でもプレーをすることを純粋に楽しんでいる。
もちろんプレッシャーはあるのだが、プレッシャーを感じながら乗り越えていくことに価値を見い出している。
その中でも印象的だったのが、柔道の大野選手が優勝した時の井上康生監督との抱擁。
前回大会で金メダルを獲得した大野選手は連覇という重圧に苦しんでいたと思う。その連覇の難しさを一番知っているのが井上監督自身であったことから、二人で連覇という偉業を成し遂げた瞬間の思いが伝わってきた抱擁だった。
アスリート自身も普段の競技から自分の考え方をしっかり持てるようになり、また、所属チームやコーチが選手をリスペクトできるようになったことが大きな要因ではないか。
以前であれば、監督やコーチの言うことは絶対で選手自身の考えを受け入れる環境ではなかった時代。
アスリートの思考が変わってきた背景には、プロ化やアスリート自身がSNSを通して意見を直接言える時代にもなったことが大きいと推測する。
かつてのオリンピックを見ると冷戦時代はモスクワ大会やロサンゼル大会でそれぞれボイコットがあった。政治の影響をもろに受けていた時代があり、東欧諸国ではオリンピックでメダルを獲ることが国の絶対命令であったことからアスリートは何も言えない状態で、国際交流などの雰囲気ではなく、国の維新をかけた戦いその物だったように記憶する。
今回の大会で印象的だったのは、戦いが終わった後に選手同士がお互いを称え合うシーンが多く見られたこと。自分だけがよければ良いというマインドの国や選手はオリンピックには参加する資格が無いということだ。
スポーツでは常に勝者と敗者が存在する。しかし、その過程を含めて人種や国籍、言語の違いなど関係なく試合ができることがスポーツの魅力である。
日本は改めてオリンピックのホスト国として得た経験からどんな課題があったのか?
そして今後どのように取り組んで行くのか?
いくつかの課題について考えてみたい。
日本社会の衰退とスポーツの発展
スポーツの世界はプロ化も進み、体罰や暴力といったことがなくなり技術向上も目覚しく、世界で活躍できる選手が増えたことは日本人としても誇らしく思う。
しかし、日本の経済、社会を見渡して見ると非常に危機感を抱かざる負えない。
スポーツと政治は別物という考えもあるが、スポーツが繁栄するのも社会が安定していなければ、スポーツなどできる状態では無くなります。
果たして日本社会はどうだろうか。
世界競争力を失い、かつての経済大国が嘘のように衰退の一途を辿っている。
物づくりで発展した日本はもう存在しない。
自国愛も薄く、優秀な人は既に活動の拠点を海外へ移し衰退して行く国を外から眺めている。
それでも何とかなっているのは日本は人口が多い国であるから、まだ国内消費でもビジネスが成り立ってしまうのだ。
しかし、人口減少は進んでいて超高齢化社会を迎える国がその現状を変えるための方向性、施策など打ち出されているようで
バタバタしているだけである。
アスリートがなぜ結果を出せるようになったかを考えると環境とマインドの変化ではないかと推測する。
国際大会や海外のリーグで結果を出すためには、その地へ行き、練習環境や戦う場所を変えて挑戦を続けたことだ。
ゴルフの松山英樹選手もマスターズで優勝という偉業達成まで渡米して10年かかっている。
これが、国内ツアーだけで毎年賞金王を獲ったとしてもマスターズで優勝することはできなかっただろう。
大前研一さんの名言、自分を変えるための3つの条件として以下の3項がスポーツの世界でも
同様であると思ったので紹介する。
1、時間配分を変える
2、住む場所を変える
3、付き合う人を変える
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、決意を新たにすること。
活躍できるアスリートはみんなこの要素を実行しているんじゃないだろうかと思う。
この3つは、自分の意思で実現できることであって、他人に依存していることではない。
そろそろ、日本という国が今後どの方向を向いて進んで行くのかを国民が理解して個人レベルでできることを各分野で実践して行くことが必要ではないだろうか。
誰かがやってくれる。誰も何もしてくれない・・・・などの思考は捨てて、どんなことにも挑戦することが当たり前の世の中に、たとえ失敗しても再び挑戦できることができるような雰囲気の世の中になって欲しいと願う。
スポーツ界がここまで発展してこれたのは、安定した社会があったからで今度はスポーツの力で日本社会を成長軌道へ押し上げて誰もが羨むような国にしようではないか。
また、今回のオリンピックを招致・開催することで今まで見えなかったものが浮き彫りになりました。
一部の人の意見が通るような密室での決め事は通用しないこと、大義に反することはしないという流されない強い信念と公平性。
賛成や反対で対立するのではなく、方向性が決まれば全力で取り組み本質を見失わないこと。
日本はコロナの問題でも国の政策を批判されているが、根本的な問題は政治家の信用がないからである。
どんなことも完璧な施策は無い。最善の方法を考えて実行することしかない。
いくつもの選択肢は迷いを生むだけでもあり、最後は国民が覚悟を決められるか。
今回のオリンピックでは多くの課題が残ったが、変わるきっかけを得たことは間違いない。
あとは、これから課題に対してどう解決して行くか。
日本の真価が問われるのはこれからだ。
おわりに
オリンピックを通して見えたもの、日本がスポーツの先進国となってきたことだ。
それは、メダルを獲れば良いと言う本質を欠いた発言は無くなり、スポーツが人の心を動かしダイバーシティを推進するためのもの、時として物議を醸し出すこともありますが、その都度問題を乗り越えて未来を良きものとするためのもの。
開催にあたり酷暑の中運営のサポートをしていただいたボランティアスタッフの皆様には感謝を申し上げたい。