日本人メジャーリーガー誕生に貢献した名将

コラム
ohgi akira
出典:週間ベースボールONLINE

日本人メジャーリーガー誕生に大きな影響を与えた仰木彬氏

今日まで日本プロ野球界から多くの選手が海を渡りました。

気がつけば野茂英雄がドジャースに入団した1995年から四半世紀が経過しました。

その昔マッシー村上氏がサンフランシスコジャイアンツでプレーの経験があるので

野茂が全くの最初ではないですがあえてこの記事では1995年をベースに書かせていただきます。

1995年の野茂以降、長谷川滋利、吉井理人、イチロー、田口壮とメジャーリーガーが誕生したのですが、不思議と仰木監督の近鉄、オリックス時代に選手だった中からメジャーリーガーが輩出されているのは偶然ではない。

最初の野茂はソウルオリンピックの翌年(1989年)ドラフト1位で近鉄バッファローズに入団。1990年から1994年まで最多勝、奪三振とタイトルを取り続け1994年シーズンオフに近鉄を任意引退し、ドジャースとマイナー契約を結び渡米した。今回は野茂氏の日本球界から脱出劇についてはウィキペディア(Wikipedia)を参照ください。

仰木監督は1986年のドラフトで阿波野秀幸をドラフト1位で獲得した後、山崎慎太郎、小野和義と先発ローテーションを組み常勝球団だった西武ライオンズに立ち向かっていた。圧倒的な力を持っていた西武ライオンズに対して近鉄バファローズは最も厄介な相手であったのは間違いない。

野茂が近鉄からドジャースへ移籍する前年(1994年)に近鉄バッファローズの監督は300勝投手の鈴木啓示氏に変わっていたが、メジャー志向が強かった野茂にとって練習・調整方法が大きく変わったため近鉄を退団する意思を固めたのではないかと想像する。

仰木監督は既にチームを去っていて、更にコンディショニングコーチの立花龍司氏も鈴木体制になったところで退団していた。

近鉄を退団していた仰木監督は1993年に解説で1年、翌1994年からオリックスブルーウェーブの監督に就任し2年目の鈴木一郎を1軍で抜擢。登録名を「イチロー」として売り出した。

イチローはこのシーズン210安打で記録を作り首位打者を獲得。以後、7年間首位打者を取り続けたのである。

このオリックス監督時代に最初にメジャーへ行ったのが長谷川で、その後、イチロー、田口と続いた。

何故かメジャー挑戦する選手が仰木監督の元から現れるのであった。

仰木監督は野茂の入団当初、身体を大きく捻る独特のフォームを野茂本人の意向もありいじることはなかった。そして、イチローについても同様に「振り子打法」と呼ばれる前足を大きく振り子のように動かしてタイミングをとるイチローのフォームもいじることはなかった。

よくある話だがフォームをいじりたくてしょうがないコーチもいるのがプロ野球。

仰木監督はそんな個性ある選手を世に出し、適材適所で選手を使っていたように思う。

これだけの日本人メジャー選手を輩出した背景に仰木監督が現役時代、西鉄ライオンズに在籍していたことが少なからずとも影響があったのではないかと勝手に推測する。

西鉄ライオンズと言えば、稲尾和久氏を筆頭に中西太氏、豊田泰光氏「野武士軍団」と呼ばれた最強チームで個性ある選手が多かったことは有名である。

晩年、清原和博氏ともその関係性がメディアに取り上げられていたが、仰木監督は個性ある一流選手を使うことに関しては本当に上手かった。

その反面、1軍半の選手には厳しかったようです。しかし、プロは結果が全てというが、先ずは試合に出て観客を魅了することが仕事で普通に野球やってても生きていけない世界であることを仰木監督は結果の出ない選手達へメッセージを送っていたのだろう。

仰木監督の元からメジャーへ旅立つ選手が多いことに当然であるが監督としてある程度容認していたことになる。あくまで契約は球団フロントと選手になりますが、現場の指揮官として主力選手の流出は厳しい戦いを強いられることになるので心境は複雑なはず。しかし、仰木監督は選手の背中を押していたようにも思う。

2005年シーズン最終を迎える9月末。私は西武ドームで勤務していたのでその現場を見ていた。通常、試合終了後選手はバックネット裏の長い階段を登った先に移動用のバスが待機しているのだが、この時既に仰木監督にこの階段を登る力はなくなっていた。ゆっくりグランドを歩きながらスタンドにいるファンへ手を上げセンター後方のバックスクリーンを出た先にハイヤーを待機させて静かにそのハイヤーへ乗り込んで球場を後に・・・・・。

仰木監督の勇姿を見たのはこの時が最後となりました。

お亡くなりになられた後、真相が明らかになりましたが既に肺がんが進行していてとてもグランドにいれる状態ではなかったこと。最後の最後まで野球人としての人生を全うされた仰木監督に改めて敬意を評したい。

2021年プロ野球シーズンも間も無く開幕する。2011年の東日本大震災から10年の節目となる今年は

各チームも順調に調整が進んでいるようで何より。プロ野球のある日常に感謝しながら選手のパフォーマンスを楽しんで行きたい。

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